
外国為替とくに外貨建て為替の売買価格で、一国の通貨と他国の通貨との交換比率を指す。 為替の概念の1つで原始社会から階級社会への移行期に相当し、原始的民主制の要素を持った共同体の中において「英雄」(h?r?s/hero)と呼ばれる半伝説的な指導者によって共同体が指導されたとされ、民族精神・古代国家形成の過渡期と位置づけられた時代のこと。近代期に盛んに唱えられたが、20世紀後期の考古学の進展によってその存在が消極的・否定的に捉えられるようになった。 中国の歴史区分で、秦以前の時代を指す。先秦時代ともいう。遠古から秦によって統一された紀元前221年までであるが、春秋戦国時代を指すことが多い。 外貨預金は『漢書』景十三王伝にあり、「(河間)献王の得るところの書はみな古文先秦の旧書」とあり、顔師古注には「先秦は猶お秦の先を言うがごとし。未だ書を焚せざる前を謂う」とある。 日本の歴史における時代区分のうちで、江戸幕府が崩壊して明治維新が開始された1868年以後についての呼称として考え出された概念の一つ。 現在、日本においては明治維新以後の時代区分を明治時代・大正時代・昭和時代・平成時代と元号を冠して用いるのが一般的であるが、日本の歴史における時代区分において明治維新以前には鎌倉時代・江戸時代などといった政治の中心地から取られて呼称が用いられている(弥生時代や戦国時代のようにその中心地が確定できない時代を除く)が通例なのに明治以後は元号で分けるのはおかしいという意見がある。その意見に基づけば、明治維新以後は政治の中心が東京にあったのであるから、「東京時代」として一括されるべきではないかというのである。 しかし、東京時代と言っても大日本帝国憲法下と日本国憲法下では政治体制に大きな違いがある事や、100年以上前と現在を一括した呼称となるだけに違和感を抱かれる事が多いのか、一部の書籍で近現代(近代と現代)の日本を指す呼称として用いられるケースもあるものの、一般においては全く使われていない。 こうした時代区分法は、現在から過去の歴史を区分して用いられる方法である。だが、時代の変遷により、将来的に現在の時代区分の枠組みが変化する可能性は否定出来ない。例えば将来的に東京からの首都移転が行われた場合などに、それ以前と以後を区別する必要性から、明治以後の歴史の一括表現としてこの言葉が用いられる可能性があると考えられている。 IPO、中国にあった王朝は夏・殷・周である。夏については何らかの王朝が実在したことは考古学上確認できるが、文献として確かめられるものは出土していない。殷には甲骨文が出ている。周は弱体化して諸侯の反乱や異民族の侵攻で都を東に遷したので、それ以前を西周時代、それ以後を東周時代という。東周時代は、諸侯の力が強いが、まだ周王としての権威が残り、かろうじて周の封建体制が保たれていた春秋時代と、下克上が繰り返されて周の封建体制が崩壊し、各国が自ら王を名乗り覇を競い合った戦国時代に分けられる。戦国時代は後の中国を形づくる思想・科学・文化の濫觴期であった。 ある時代に支配的な知的・政治的・社会的動向を表す全体的な精神傾向のことである。この言葉自体は、18世紀後半から19世紀にかけてドイツを中心にして生まれた。 株の理念の出自をたどると、ドイツ・ロマン主義者ヨハン・ゴットフリート・ヘルダーによる「民族精神」概念の形成に行き着く。ヘルダーは、民族的な精神文化(民俗的な言語や詩)に深い関心を寄せるなかで、人類史を人間精神の完成に向かう普遍的歴史としてとらえる考え方を提示し、時代の精神を示す「民族の精神」などの概念を用いた。 弁証法哲学を唱えたヘーゲルは、民族精神ないし(近代的には)国民精神を、世界史の個々の発展段階における普遍的な「世界精神」の現れとして捉え、民族精神にみられる歴史的・時代制約的性格(非哲学の消極的性格)を明らかにした。ここから、普遍的な人間精神が特殊的・歴史的現実に展開・具現するところに、ある時代の精神文化を表す時代精神の存在をみる見方が確立されることになった。 以上のヘーゲルのような考え方は、19世紀を通じて歴史学や法学、経済学などさまざまな分野で展開されることになった。 ヴィルヘルム・ディルタイは、ヘーゲルよりも具体的に生活体験という視点から時代精神を捉える。すなわち、ヘーゲルの形而上学的構成に対して、与えられてある生の現実から出発しなければならないとして、時代精神を知・情・意の「作用連関」においてとらえ、価値体系を中核に、そうした作用連関の表出のうちに時代精神を了解(独: Verstehen)する精神科学(独: Geisteswissenschaften)を提唱したのである。この捉え方は、後にヨーロッパ中に広く大きな影響を与えることになった。 今日では、以上のような哲学的規定から離れて、単にその時代に特有の社会的常識を指して「時代精神」と呼ばれることもある。たとえば、リチャード・ドーキンスは、著書『神は妄想である』において、女性の選挙権獲得などに代表される社会常識の移り変わりを説明する際にこの言葉を用いている。 元々はギリシア神話に由来する概念であり、半神(神と人間の間の子)とされた人々や部族・都市等の祖とされる人々などが英雄とされ、死後に神々に準じる存在になったと信じられていた(エウヘメリズム)。これらの英雄の話は古代ギリシアの詩人達によって語られ、ホメロスやヘシオドスなどの詩が後世に伝えられた。この中で時代を「金・銀・青銅・英雄・鉄(現代)」に分類し、ゼウスから選ばれた王や英雄達が活躍した最後の時代であるとした(ヘシオドス『仕事の日々』)。 この考えは近代に引き継がれ、ヘーゲルは『美学講義』において、ホメロスの作品を最高の叙事詩とし、英雄時代を叙事詩発生の時代、民族精神の黎明期であったと唱えた。その時代は共同体が未だ国家として形成するに至らず、共同体と個人の精神と対立せずに「生きた絆」で結ばれ、英雄は共同体の指導者として自由な個性を発揮して内外の危機に立ち向かって発展していったと唱えた。その後、ギリシア以外の世界にも英雄時代が存在して現在各地に残る古代の叙事詩はその遺産であるとする見解が唱えられた。例えば、バビロニアのギルガメッシュ王などはその典型例とされ、日本でも高木市之助や石母田正が神武天皇や日本武尊の伝説がそれに相当し、指導者による専制が他国よりも強いことを前提としながらも大和朝廷の時代を「日本の英雄時代」と比定した。 だが、第2次世界大戦後のギリシャにおける考古学調査の進展によって、「英雄時代」理論の根幹であるギリシャにおける英雄時代の存在が疑問視されるようになった。これは英雄時代最大の戦いとされるトロイア戦争が行われたと推定される紀元前1200年頃に書かれたミケーネ文明の文書(ミケーネ文書)から、ミケーネ文明がギリシャ本土にオリエント的な専制国家を形成していたことが明らかとなり、ホメロスの描く英雄時代とは違う構造の社会であったことが明らかになってきた。加えてホメロスの叙事詩自体も今日の形態になったのは紀元前8世紀頃と考えられるようになり、ホメロスの叙事詩がミケーネ文明滅亡後のいわゆる「暗黒時代」の状況を取り込んで脚色されていったと考えられるようになった。 従って、今日の古代ギリシャ史においては、英雄時代を実際の歴史上の時代と捉える考え方は行われなくなり、トロイア戦争やアテナイ王テセウスなどの英雄伝説などから、ミケーネ文明からいかにしてポリスの形成、貴族政、そして民主政の確立に至ったのかという国家形成の問題、そしてその間に英雄像がいかに変化していったのかという民族文化形成の展開を研究する方向に転換して行くようになった。


